もしもライオンが「怒りの正体」を語ったら──
それは、砂塵の舞うサバンナの真昼。遠くでシマウマの群れが風に揺れていました。
私はライオン。
昼間はほとんど動きません。体の中の熱を、地面にゆっくり返しているのです。
でも、みんなは私を“怒りの象徴”だと言います。
牙を見せ、吠え、支配する者。
けれど本当の私は、そんなに怒ってばかりはいません。

砂の上の静けさ
太陽が真上に来るころ、空気が震えます。
虫の羽音も消えて、世界はまるで息をひそめたよう。
その静けさの中で、私はじっと風を聴いています。
怒りというものは、実はこの静けさに似ているのです。
最初は熱い。
胸の奥で火がつき、世界が赤く染まる。
でも、じっとしていると、炎はやがて静かに形を変えます。
「なぜ怒ったのか」と問いかけると、
そこにはいつも“恐れ”が隠れているのです。
私が吠える理由
たとえば、仲間が傷つけられたとき。
たとえば、子どもが危険にさらされたとき。
その瞬間、私の中の何かが立ち上がります。
それは、怒りというより「守りたい」という叫び。
怒りとは、心が「怖い」と感じたときの防具なのです。
人間もきっと同じでしょう。
理不尽な言葉や、無関心な態度に傷つくと、
あなたの中の“獅子”が目を覚ます。
「これ以上は踏み込むな」と、吠える。
でも、その声の奥には、小さな孤独が座っています。
静かに怒るということ
私は学びました。
怒りは「出す」ものではなく、「聴く」ものだと。
それは、心の奥で鳴る太鼓のような音。
音の理由を聞けたとき、怒りはもう暴れません。
ただの“合図”に戻ります。
だから私は、怒りが来たら立ち止まります。
風を吸い、空を見上げ、太陽の熱を受け止める。
それだけで、心の中の獣は静かになるのです。
人間のあなたも、もし怒りが湧いたら、
「いま、私は何を怖がっているんだろう」と
少しだけ耳をすませてみてください。
怒りの奥には、きっと「やさしさ」が息をしています。
サバンナの風にて
怒りとは、力そのものです。
押し殺せば濁り、爆発させれば焼ける。
けれど、抱きしめれば温もりに変わる。
私は吠えることで、ただ「生きている」と告げているのです。
あなたの中にも、きっと同じ獅子がいる。
どうかその声を怖れずに、
一緒に静かな強さを探してほしい。
締めの一句
風渡る
怒りも眠る
昼の丘
牙の影にも
光は宿る





